« ケープタウンへの道(8) | Main | ◇「ペンタゴン・ペーパーズ」を見る。 »

April 14, 2018

ケープタウンへの道(9)最終回。

▼ケープタウンの最終日、まずショッピングセンターで、「お買いものタイム」である。わたしがが最初から「レイボスティー」と喋っていたものだから、みなさん一斉に「ティー」コーナーに走る。そしてあの石油ショックのように大量の「例ボス」をカートの詰めるではないか。わたしも一瞬気後れしてしまった。小一時間のショッピングが終わると同じ建物の2階にあるレストランでイタリアンをいただく。バスはケーブルマウンテンの道を再び上り始めた。道の中腹で止まって下車すると、燦めく町の灯りが一望できた。しかしわたしのカメラは既に動かなくなっていた。もしかしたら、どなたかのカメラに写っているかも知れない。今朝(4月14日)デジカメの修理見積もりを頼んでいた家電メーカーと連絡がついた。それによれば1200円+税であった。ネジ1本は100円もしないから、他は技術料ということになるが、仕方ない。
Sunset
(修理が終わったカメラから救出した、ケープタウンの夜景。テーブルマウンテンの中腹から撮影)
▼明日の朝は混雑を避けるために午前3時半ホテルのロビーに集合だ。忘れ物がないか何度も点検して眠りについた。翌朝3時半にフロントに行き、カードを返し、旅行社からいただいた切手を貼った葉書の投函を依頼した。その葉書は10日たっても日本に着かない。それとは別にモザンビークで3枚の葉書の投函を依頼したが、それも1枚しか着いていない。この国の人たちはどうやって生活をしているのだろうか?先のザンビアとモザンビークで考えた。目の届く範囲では手作りの土産物を売る人たちが、一番底辺にいる。次は歓迎の踊りで出迎えてくれる人たち。次は象サファリの馭者、次は労働力と資本が蓄積できて運営できるショーができる人。次はホテルで清掃などをする人だ。目先の利く人は現地ガイドさんのように3人の娘さんの親だが、彼女たちが将来苦労しないように、家を3軒たててやって、その収益で生計を立てさせることが目的だ、と言っていた。途上国でも学校にかよって腕に職をつける方法がなければ、現金収入を手にする方法はこうなる。サファリのガイドさんなどは恵まれた方だと思う。都会のケープタウンのホテルではチップという方法がかろうじて残っている。賃金は少ないが、そうやって生計を立てている。
▼さて最終日乗り換えでヨハネスブルグにトランジットで立ち寄ったとき、現地に住む日本人コーディネーターさんが説明してくれた。わたしは途中から聞いたので、間違いが少しあるかもしれない。以下彼の説明の要約。ヨハネスブルグはモザンビークやザンビアを流れる河の水が3ヶ月かかってこの都市まで来るので水不足になることはない。しかしケープタウンは下が岩盤で水がしみ込まないから、昔から土地が痩せていて、放牧くらいしか出来なかった。原状ではどうやっても水不足になってしまう。さらにお金持ちは、いくら「水飢饉」だと訴えても守らず、ふんだんに水を使っており、「罰金」が掲示されると、ようやく言う事を聞く。ヨハネスブルグの方から使っていない石油のパイプラインを使って水を引こうとしているが、3ヶ月掛かっても実現のメドはついていない。いずれにしてもお金持ちには住みよい所かも知れないが、貧乏人には仕事もなく住みにくい。失業率は27%と高い。大学を出ても仕事がない。ケープタウンにあった大学も現地の言語だけをやめて英語を中心に全世界に開かれた大学にしたので、人気も出て来た。
Pengin
(野生のペンギン保護区)
▼男性の平均寿命は54歳で女性は64歳である。筆者も毎日ワインを飲んでああいうモノを食べていたら寿命は縮まると思った。NHKETVでダイヤモンド博士シリーズ最後回に「水、食料(ジャンク・フード、医療」の存在が人類の生命を決めると言っていたがまさにその通りである。最後にヨハネスブルグの地名の発祥の由来聞いてみた。すると法律家が作ったとか3つの説がある。しかし今はシリル・ラマボーザという黒人の大統領で、経済もそこそこ上手く回っている。「これが正しい国名の由来だ」と決めてしまうと、大混乱に陥りかねない。だからわざと曖昧にしてある」という解説であった。アパルトヘイトが1994年に撤廃された。その後4半世紀たつが、同国政府の統計によれば、いまだに人口の8%である白人が80%を占める黒人の5倍近くの収入を得ている。
▼最後に南アフリカ共和国の原発私考。かつてこの国は原発の保有国だった。しかしアパルトヘイト政策の終焉とともに自主的に核を廃棄してしまう。いまケープタウンにはフランス、アレバが1984年作ったPWR原発が2基ある。今までは水力発電だけに頼っていたので、工業を発展させるためには、それが一番良いと考えたのであろう。1993年に「南アフリカはかつて核兵器を保有していたが、すべて廃棄した」とデ・クラーク大統領が公表した。それにより、IAEAは特定査察を行い、1995年に核兵器が完全に廃棄されたことを宣言した。以降、南アフリカは核不拡散を推進するための外交政策に積極的に取り組んでいる。(ケープポイント下の野生のダチョウ
▼旅行の間風呂に入ったのはモザンビークのエレファントホテルで4日目に一回だけ。後はビクトリアフォールズの滝のシャワーだけだった。こういう事が苦痛でない人には最適の旅であろう。成田に到着して、家への第一報は「風呂を沸かしておいて」だった。ご意見やご質問がありましたら、文末欄外のツイッターかEメールでご連絡をお待ちしています。
(ご注意:本ブログの記事、写真の一部または全部の引用は著作権法違反になります。発見した場合は知人・友人を問わず、多大の倍賞金をいただくことになります。)

|

« ケープタウンへの道(8) | Main | ◇「ペンタゴン・ペーパーズ」を見る。 »