« 「大黒湯」は客が殺到して土曜は700人待ち | Main | BSTBS歴史鑑定「明治天皇の后と最後の側室たち」を見た。 »

January 10, 2019

耄碌(もうろく)集団の伊勢神宮参拝。

▼夕べの東電前は寒かった。前日の有楽町駅前よりも数倍寒かった。ホントはわたしはこういう所に行ってはならない。医師にも1時間以上は止めろ、と云われている。しかし継続して記録を頼まれているので、大雨でもない限り行くようにしている。その前に定例の歯科医通いがある。まるで孫のような年齢(実際に孫はいない、たとえ話だ)年齢の可愛い歯科衛生士さんに歯の磨き具合を,毎月1度、1時間ほどチェックしてもらう。行かなくても良いような気もするが、健康長寿を保つために必ず行っている。そのあと、小川町の日本原電に行く。その次の新橋東電本店前は夏でも,お堀の冷たい風が襲ってくるので寒い。重い三脚も押さえていないと倒れそうにな風圧である。
▼数日前「日本映画専門チャンネル」で「明治天皇と日露戦争」という映画が放映されたので、録画して見た。この映画は中学生の時、街の映画館までなぜか?学校行事として鑑賞に連れて行かれた。その頃の記憶は殆どない。日露戦争の資料として信頼できるのは、半藤一利の「日露戦争」(今の所,全5巻のうち4巻までが出版されている。もちろん司馬遼太郎の「坂の上の雲」も全巻読み終わっている。こちらは日露戦争を通じていかに国際社会に影響力を与えて行ったか書かれているように思う。映画では、広瀬の「杉野は何処」の場面くらいしか覚えていない。さらに映画では明治天皇(嵐寬十郎)が決断を下すまでの苦悩、「絶対勝てるか?」と軍資金の調達にだけ心配している。さらに部下の乃木希典だけが息子を犠牲にしている事など美化されている。
▼しかし水冷式機関銃を備えて待ち構えるロシア軍に,競歩のように38式歩兵銃で迫って攻略する日本軍は,人の命を何とも思っていないように見え無謀と云えば無謀である。公開当時この場面を見て興奮した老人が「おのれロスケ」とスクリーンに飛びついたという話も残っているくらいだ。わたしの生まれ故郷の小さな村の神社の石碑にすら,日露戦争で戦死した村人の名前が刻まれているので、その動員ぶりのすさまじさがうかがい知る事ができる。
▼つまり兵士たちは,ロシア兵を殺すことと、天皇の為に命を捧げる事を疑問を持つことを許されなかった。
▼ついでに云うと某政党3バ○大将がうち揃って参拝したあの伊勢神宮とは何のためにあるのか?明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。 そして三種の神器の一つである「鏡」が奉納されているらしい。これもすべて「神話」の世界の話である。神話をわたしは信じていない。だいたい「壬申の乱」で神武の血筋は絶えているはずである。そいれが証拠に戦争中は「日本書紀」の「壬申の乱」は学ぶ事を許されなかったと、ある国立大学のl研究者からお話しを聞いたことがある。
▼三種の神器のひとつ「剣」は源平合戦の壇ノ浦の戦いで二位の尼が安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し勾玉の箱を奉じて入水し一緒に水没した。その後レプリカが作られたと,様々な文献に書かれている。また先の大戦末期アメリカ軍が伊勢湾に上陸して「鏡を奪われたらどうしよう」という作戦も真面目に考えられていた。架空のものを恰も現実のように装い、それを神格化し、自分の心のよりどころにしようと,時の権力者にすり寄る姿勢は哀れですらある。
▼昨年11月反原連の国会前集会で,菅直人氏が発言している。(筆者撮影のビデオあり)「前原さん(口先番長)を落とそうという勢力が暗躍している」と。上等、上等やってみろ。日米軍事産業を結びつけようとしている、旗頭である前原など日本にとって百害あって一利もない。こういう人たちが,仮に万が一彼等が政権に復帰しても,今の政治が変わることなど、絶対ありはしない。

|

« 「大黒湯」は客が殺到して土曜は700人待ち | Main | BSTBS歴史鑑定「明治天皇の后と最後の側室たち」を見た。 »