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February 23, 2019

敬愛する木曾義仲の事など。

Gichuuji
(義仲寺)
▼3年前に北海道泊原発再稼働反対行動に参加するとき、購入シタリュックサックが大変汚れてしまった。家族っからは不評だが、濡れても生地は薄くて水はけが良いので、気にいっている。それに蛍光色の黄色で遠くからも目立つ。先週火曜日クリーニング屋さんが見えたとき、家族の洗濯物は一つもなかったので、試しにクリーニングしてくれるかどうか、きいてみた。プレスは難しいが(中に型崩れ防止用のため、骨格となる金属の針金やプラスチックが入っている。)奇麗にすることは可能だ、というのでお願いした。木曜日の外務省前の抗議には娘から、下賜された古いビジネスバッグに主な機材を入れて、三脚は担いだ。電車に乗り降りするとき場所と取らないので、周囲からイヤな顔をされない。
▼だがしかし抗議が終わってみなさんかんは手早く持ち物を片付けて、一人またひとりと去っていく。もたもたしていたらわたし一人になってしまった。それでも機材を確認してぶち込み、撤収した。一人になってしまった時の気持ちは寂しい。職質でもされたらどうしようかと思う。
▼きょう23日は午前10時から住んでいるマンションの定期総会があって、出席した。今年はまだそれほど揉める事柄はない。しかし来年は輪番制で役員をしなければならない。例の「消費税値上げ」の予算への反映の問題が入って来る。
▼先週NHKの歴史番組で「木曾義仲」が取り上げられた。わたしは歴史上の人物で一番好きなのは彼、木曾義仲である。かつて私と親しかった友人は、彼が京都で乱暴狼藉を働いたとして毛嫌いしている。乱暴狼藉は事実であるが、それは後白河の陰謀もはたらいていた。つまり信州の田舎者だった彼は、源氏の血筋を引いているため、戦略家ということもあり、奇想天外な作戦で、初期は戦果をあげた。それで北陸地方の豪族が、これならばもしかして後白河を倒してくれるかも知れない、と思って味方についた。というのは北陸の米は京都の公家やそれを支援する平家のために召し上げられていたのだ。
▼だが源頼朝は政治に長けて老獪だった。一方木曾義仲は直情型で、戦(いくさ)には長けていたが、戦略家ではなかった。それで追い詰められ死んでしまう。田辺聖子も平家物語で「義仲の最後が一番優れている」と絶賛しているほどである。今井兼平との別れのシーンは涙なくして読めない。私は10数年前に琵琶湖の知覚にある義仲寺を訪れたことがある。寺の入り口で参拝に来た理由を述べると、受付にい年配の女性は「さぞかし義仲も喜んでいることでございましょう」と言ってくれた。ご存じのように松尾芭蕉は「義仲の近くに葬って欲し」という遺言を残しており、今も義仲のとなりに眠っている。

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