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October 19, 2019

司馬遼太郎の「街道をゆく9巻信州佐久平みち」を読む。

▼今朝NHKの「ガイロク」の録画を見て涙を流していた。長野県出身の女性なのだが、父親がベッドに寝たきりになるのを知り。職場を辞め実家に帰り介護をし、最後に婚約していた男性と結婚するまでの話。バージンロードを歩行補助器具を使って歩く父親には涙が止まらなかった。

▼昨日のNHKラジオ「きょうは何の日」というコーナーがあった。昨日は「伊勢湾台風60周年」だった。そのときわたしは中学3年生だった。実家の隣りには「お宮」(ブログでご紹介した日露戦争の慰霊碑があるある場所)、そこには直径3mくらいで樹齢300年の欅(かやき~があったが、根本からポッキリ折れて大騒ぎになった。そして隣りには叔父の家があった。しかし余りにも風が強いので、我が家に避難していた。そしてあるとき叔父は自分の家を振り返って見たら、「あ、おれの家の屋根がない」と叫ぶ。屋根がすっ飛んでしまった事に気づいた。それほどの暴風雨だった。それからは我が家が潰れては大変だ、とみんなで二階の雨戸を抑えていた。母は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と呟いて心をおちつかせていた。わたしには、その母の呟く「南無阿弥陀仏」の声が不気味に聞こえた。

▼そのちょっと前にわたしは外の様子を見に行った。すると雨が当たった腕がブツブツに腫れ上がって締まった。雨の力もそのように強かったのだ。わたしが雨が止んでから親戚を周り状況を話し、復旧の手伝いに来て欲しいと自転車で回った。全て回ると10kmはあるが山に近いところでは俺が巨木が道路をふさいでいて、容易には走れなかった。

▼ひと月前の高校の同級会の時、T大工学部を出て造船会社で原発の部品を作っていた男がいた。彼は日本の電力不足を原発で解決出来ると、当時は信じていたのだ。彼がわたしに「司馬遼太郎が小諸を書いた本を読んだことがあるか?」と聞かれた。司馬は「坂の上の雲」しか読んでいない。図書館に注文したら文庫本「街道をゆく9巻信州佐久平みち」だとヤマカンを付けて借りたが正解だった。わたしの大好きな武将、木曾義仲も佐久が馬の産地であることを知り、ここを一時期根城にしていたようだ。肝心の部分は小諸の懐古園のなかにあるソバ屋がとてもまずい。という話だ。「とにかく大衆食堂の一軒にはいると、こういう店における時代の象徴ともいうべき仏頂面の女の子がデコラのテーブルを拭いていて、声をかけてもふりむきもしなかった。定年を過ぎた編集部のHさんが辞を低くして女の子に何かはなしかけているのだが、背を向けたまま顔も見てもらえない。やがて女の子が不機嫌そうに背をのばして、「何か注文するのかね」というようにHさんを見た。アウシュビッツのナチの下士官というのはこういう具合だったろうと思われた。」後は本を借りて読んで頂きたい。

 

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