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November 07, 2019

寒い冬がやってきて、復興はままならず。

▼同時代の友人たちが2ヶ月に1度集まって10年ほど「例会」を開いている。先月末はせっかく集まったみんなスマホをもっいるから「グループを作ろう」ということになった。それから喫茶店に入って「フリフリ」したり、仲間に入れる手続きで30分くらい、あれこれはしゃいでいた。その場で上手く行かなかった者は帰宅してから連絡がついて繋がった。しかしかきこみはわたしが映画を見るたびに書くだけで他の人は全く書かない。まぁそれほど必要がない、という事なのだろう。

▼連休だった月曜日は、徒歩で行ける距離にある映画館に行って「閉鎖病棟」を見てきた。エンディングロールを見ていたら、メインの撮影場所は何と小諸高原病院だった。徘徊が酷くなった父も最後の方はこの施設にお世話になった。時々見舞に行くと自分がいる場所を忘れて「今晩一杯やろう」と言い出すのには困った。さらに別の入所者が「この人と話をしたい」と指さすことがあり困った。その時は看護師さんが「話をしたくないって」と取りなしてくれた。真冬になると、1000mの高原なので巨大なつららが出来て驚いた。写真ファイルを探せば出てくる。バスは一日に1本しかないので、自分の車かタクシーでいくかない。

▼母も後年はこの病院に隣接する介護施設でお世話になっていた。この時はタクシーに「30分ほど待っていて」と言って慌ただしく面接をして来た。この病院は戦後まもなく映画の撮影場所にもなった。ラブロマンスだったが、10年ほど前にテレビで放送されたときに見た記憶がある。元々ここは陸軍病院だった。ちょうど市川にある国府台病院と同じで、戦争に従軍した兵士が人を殺すという過酷な体験をしたため、精神に異常を来し、ここで治療をさせられた。戦後もそれを引き継ぎ精神に異常を来した人の治療、高原の空気が奇麗な1000メートルの場所にあるので結核患者の治療を専門にしていた、経緯がある。

▼10月末第3週までは短パンTシャツだったが、さすがに寒くなって来た。反原連の行動に参加していたときの冬は海路やホカロンを入れていても耐え難い寒さだった。9日は銚子のワールド灯台サミットの取材に行く予定をしていた。しかし念のため取り仕切っている銚子市役所に電話したら講演会もネットの申し込みは終わったという。300席は用意したから早くくれば座れるかも、という。東京の自宅から鈍行電車で行ったら、名古屋に行くのと変わらない。もう銚子、館山は前泊の許可が出ないと取材にはいけない。それでなくても腰痛が悪化してしまう。

▼首里城には1度足を運んだ事がある。政府は「復興優先」と叫んでいる。ふるさと納税から数十億の資金を投入するとか。カンパ活動に米軍人や軍属が協力しているとか。私見だが、わたしは台風被害で家をなくしたり、田畑が冠水した人の生活復帰を優先させるべきだと考える。首里城には人間は住んでいない。だから10年かけて復興しても不都合はない。政府が力を入れているのは辺野古埋め立てを隠蔽するための世論誘導であると思う。長野の水害にしても今までの治水対策を見直すべきだ。それなのにJRは北陸新幹線の復旧を優先させた。さらに水没した車両は全部入れ替えるという。それより長野では不通の路線がまだまだ残っている。しかも別所線の落ちた橋は架け替えるのに3年かかるというではないか?

▼この国はいつからカネ優先の国になってしまったのだろうか?日米FTAの第2段階国民健康保険に危機が迫っている事を話してもピンと来ない人が多い。ちょっとした治療でも今は数百から数千円。これが数十万円になったらどれだけの人が生きて行けるだろう。相変わらず自分のタコツボで自分の趣味だけに明け暮れている。夕べは月例の秋葉原原電本社抗議に参加して撮影し、秋葉原東電本店はあらかじめお知らせしたように行かなかった。抗議の参加者が減ってきた事を幸いに原子力マフィアは跋扈跳梁している。

 

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