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March 03, 2021

金曜日植村社長の備忘録

▼ノートPCを使って書いたブログが消えてしまった。疲れたが、気力を取り直してもう一度書こう。ケーブルTVの具合はどうにかなった。しかし新しいモデムの隣に身にコンポを置いてあるが、真夜中に突然電源が入ってしまう。ボリユームを最小にしてシールド代わりにプラスティックの下敷きのマットで覆ってあるがまだどうしようもないので音量を最低に絞ってある。ま、作動には問題ない。

▼毎年頼まれている原稿は今朝から2日で一気に書き上げてメールで送った。これで気分は楽になった。

▼新しいモデムにしてから録画の設定は1週間単位簡単にできるようになった。そこで見始めたのはNHKBS「火野正平の心たび」である。たまたま見たらはまってしまった。そこに見えるのは肉親との再会や別れの場面を30~40年たって見比べると心を打たれる。3つほど例を紹介する。1)秋田から北海道に入植した女性。青函連絡船で函館で降りたら、占い師から「馬を2匹飼うと成功する」と言われた。行き着ついた道東の原野だった。父は馬を二匹飼って呼ぶと不思議なことに出て来る。自分が真似しても弟が真似しても出てこなかった。やがて札幌に行くことになって現地で子どもの反対を押し切って二匹の馬を手放した。それを資金にして蕎麦工場を作って後に成功した。占い師の話は本当だった。

▼小樽で単身都会に出てきて海が見える街角の場所でさみしくなるといつも街角から故郷の海の方向を見ていた。

▼ここ数日の東北宮城の話。江戸川区に住む70歳の男性。母親は離婚して祖父母の実家に預けられた。中居の仕事をしていた母は年に数回会いに来てくれた。母が船で帰るとき悲しくて最上川でおぼれるところまで母を追いかけた。90歳少々の母は認知が始まっているが昔のことは良く覚えていてくえっる。

▼今日も津波で村がすっかり消えてしまった話だった。同級生とは仲良しで東京から帰ると必ず会って話をした。ところが津波で彼女は行方不明になって残ったのは母親と二人の息子だけになった。彼は考えた挙句、自分は中学校時代からのアルバムを持っていたので写真屋さんに頼んでアルバム2冊で記念品を作った母親に渡したらとても喜んでくれた。わたしは311の津波シーンの録画ビデオを見るのが好きだったが、もうこの話を聞いてみるまいと思った。

▼わたしは貧乏なので定期購読している週刊金曜日は半年に一度、9千円の購読料金をはらっている。最新号に実質的な社長である植村隆さんのコラムでこんなことを書いていた。植村さんは北海道にご自宅があるらしい。東京には某団地にお住まいらしい。ある日会議が終って自宅近くで大量の食糧をトートバッグ2個買い込んだ。家のドアをあけようと思ったらカギがない。記憶をたどってみると会社に忘れて来たに違いないという事になる。しかもリュックいはノートPCが2台入っている、仕方なく郊外の団地から2時間近くかけて神保町の会社にたどり着く。たしかに鍵はあった。しかし終電近い電車で家に戻る気力はなく、会社に泊まったという。カネよりカギが大切だという事を思い知ったという。植村さんはパスケースに皮の紐をつけ、自宅のカギとUSBメモリーをつないでいる。わたしの場合も危険を回避する意味で財布に布の幅広紐をつけ、スイカを入れたケースにつないである。スイカのケースには金属製の環をつけ、そこに自宅のカギとUSBを結んである。これは、ハサミで切らない限りはずれない。

 

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