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December 02, 2021

中村吉右衛門のサインいり本

▼人の命ははかなく短い。家族の一人は中村吉右衛門の大ファンだった。大学生の時、友人たちが「歌舞伎座」の楽屋に吉右衛門を訪問した。そして三島由紀夫の編集・執筆した「中村歌右衛門」という写真集の著作に「〇〇〇さん江」とサインして、頂き今でも大切に保管している。昨年9月の土曜日だったと記憶しているが、午後の民放で水前寺清子が司会する番組で「吉右衛門一代記」を放映していて、出生から苦労の連続だったなと感じていた。歌舞伎役者は有名になると稽古も含めほぼ一か月拘束される。通常25日に部隊が終り、休みは1,2日で稽古に入る。そして2日には幕が開く。だから女方として有名な坂東玉三郎は舞台が終ると一切の飲み食いの付き合いは断り、帰宅してマッサージ師を呼んで体の疲れをほぐしてもらっている。だから吉右衛門の趣味はただ一つ馬券を買う事だけだったというのもうなずける。

▼友人とちょっとしたトラブルになっている。それは「原発事故が起きたら長野の実家にしばらくかくまってもらえるか?」という半ば冗談話から始まった。結論から言うともう、実家の名義は妹になっており、甥夫妻が住んでいる。だからわたしも勝手に他人の家だから入れない。鍵ももっていない。無理やり入れが犯罪になってしまう。私にも親しい友人は30名くらいはいる。私も実家には入れないので、必要な時は近くのホテルに泊まっているくらいだ。たとえ30人の友達がいたら家族を含めて100人になるので庭にテントを張るしかない。しかも村には販売店はおろか店は1件もない。さらにレストランや食堂は3km以内にはゼロである。わたしには何もできないので近くの神社の境内に、氏子総代の許可を得てテントを張ってもらうしかない。

▼結論から言えばわたしは反原連の国会周辺の原発反対運動に最低でも、毎週金曜日の夜、10年間通った。片方は家の中でテレビを見てくつろいでいた。通えば親しい友人もできて、隅田川が氾濫しそうになったら、「自宅に避難して来い」という友人もできた。わたしは中村吉右衛門と同じ年齢だ。父は87歳で死んだが、80歳になってから一切のコミュニケーションがとれなくなってしまった。わたしが正常でいられるのも、あと数年である。

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